本庄という街・・そして諸井家
埼玉県北部にある、本庄市に住み始めて数ヶ月がたった。
JR本庄駅を降りると駅前は、東京の街並みや、埼玉の中心的な街である
大宮の駅前などと比べると,極めてひなびた佇まいを漂わせている。
駅前の通りは閑散としており、昔からある商店も営業していない店も多く、
シャッターを締め切ったままの店さえある。
駅前唯一の大型店舗であった”サティ”は数年前に店を閉じ、今は
パチンコ屋に変身してしまった。いかにも活気の無い地方都市という雰囲気を
漂わせている駅前なのである。
しかし、この本庄市、歴史を辿ると以外にも歴史ある街なのである。
もともと”本庄”という地名は、古代に地方官僚として派遣されていた
官人が地方豪族化し、児玉氏、児玉庄氏、庄氏と受け継がれてゆく中で、
鎌倉幕府が開かれた頃に、庄氏の本宗の意味を持つ本庄氏がこの地を
収めることとなったことに由来する。中世には本庄城が築城され、
豊臣秀吉に落城させられるまでは本庄氏が、その後は小笠原氏が
城主となる城下町でもあった。
江戸時代になると、大都市間を結ぶ交通網の整備が重要な施策の一つと
位置づけられたことにより、中仙道沿いにある本庄も宿場町として発展を
遂げる事になる。昔から交通の拠点としてこの街から枝道が四方八方に
伸びていた事もあり、西国や日本海方面より江戸に出入りする時の中継点として
、また近道のための起点としても重要な位置をしめることになった。
明治時代に入ると、西欧文明の導入とともに本庄にも新たな展開が
見られるようになる。群馬の富岡に官営の製糸工場があったことから、
その工場長であった尾高惇忠が本庄の諸井泉右衛門らに生繭の買い付けを
依頼した。このことから本庄は繭市場として発展を遂げる事になる。
明治16年には日本鉄道本庄駅が開設するに至り、交通の便はますます
よくなり、日本一の集荷量を誇る繭市場となった。本庄にも製糸工場が出来、
(最盛期には13社)、周辺の農家も養蚕によって発展した。
本庄は”養蚕の町”として知られる事になった。
この頃が本庄の最も栄えた時代だった。
第二次世界大戦をへて戦後になり、製糸業の生産が再開された時には、
化学繊維が台頭し、次第に製糸産業は衰退してゆく事になる。
そして、製糸産業の衰退とともに、この街もかつての活気を失う事になったのだ。
ここまで読んで、音楽に関心がある方なら「おや?」と思ったのではないかと思う。
富岡の製糸工場長であった尾高惇忠は戦後、NHK交響楽団の前身である
日本交響楽団の指揮者として、また作曲家として活躍した尾高尚忠の祖父にあたる人。
(ちなみに、”尚忠”の御子息に”惇忠”という同名の作曲家がいる)
そして生繭の買い付けを依頼された諸井泉右衛門の諸井家は、戦前、戦後に活躍した
作曲家、諸井三郎を生んだ家である。とくに諸井家は戦国時代から本庄の地に
居を構え、明治の近代化の時期の本庄に重要な役割を果たした名家でもあった。
本庄の銀座通りと旧中仙道が交わる辺りに、本庄仲町郵便局という小さな郵便局がある。

この郵便局はかつての本庄郵便局で、諸井泉衛が初代郵便局長を務めた。
この諸井泉衛が作曲家諸井三郎の祖父に当たる人なのである。この郵便局はその後、
3代にわたって郵便局長を務めることになるが、2代目郵便局長であった泉衛の子、
恒平はその後、秩父セメントを起こし、秩父鉄道の社長を兼務するなど、
経営者として凄腕を振るった人物のようである。
この諸井家からは、日本初のブルブローカー、外交官、経団連創設者など、
日本の政治経済の中枢を担う数々の人物を輩出している。
ちなみに泉衛の家系を”郵便諸井”あるいは”東諸井”などと、
当時呼ばれていたらしいが、他にも南諸井(本屋諸井)--本屋を開業していた
(この家系から初代本庄町長が誕生している)。
北諸井(宿屋諸井)--江戸時代に問屋を務めていた家。本庄市内に2000坪
もある庭園”五州園”をつくった家でもある(現在は結婚式場になっている)
--の計3つの諸井家があった。
この小さな街から、その後、日本を代表する人物が飛び出していったのは、
この街に住むものとしては少々誇らしい。
しかし、この街に、かつての繁栄をとどめる面影を感じる事が出来ないのが、
少々残念な事ではある。
参考資料:本庄歴史缶(本庄市教育委員会)、武州本庄宿ふるさと人物史1(本庄市)
諸井三郎
(作曲家、音楽理論、作品解説などの書籍も多い)
諸井誠
(諸井三郎の子息にて作曲家、音楽評論家)
諸井虔
(諸井三郎の子息にて元秩父セメント社長、太平洋セメント相談役などを務めた財界人)
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コメント
はじめましての訪問です。
諸井虔さんの書物よく読んでいます。
経済人としても、故佐治敬三さんと同じく尊敬する人の一人です。
本庄児玉に友人も住んでいますので訪れることが時々有ります。