フォーレの墓前にて~~ガブリエル・フォーレ「レクイエム」
まだ3月初旬だというのに初夏の装いさえ感じさせる異常な気象のパリに私達はいた。パリの伝統ある美しい町並み、シェフ達が腕によりをかけた美味しい料理、
美術館で見ることが出来た名作の数々、一流のバレエ団が演じるモダンバレエ、
そして伝統と気品溢れる教会。
私達はパリの数日間の滞在でこの街の魅力を十分に感じることが出来た。
その旅行も終わろうという最終日の午前中、私達は思い立ってある墓地に来ていた。
パリの西側にあるエッフェル塔から、セーヌ川を挟んでちょうど反対側にある小さな墓地。
パッシー墓地という名のこの墓地に、ある有名な作曲家が眠っている。
彼の名はガブリエル・フォーレ。
音楽を学んだことがある人なら、彼のことを知らない人はいないだろうが、
一般の人で彼のことを知っている人はそう多くない。
実際、フランスでもフォーレと言っても中々わからないらしく、
"あの有名な「レクイエム」を書いたガブリエル・フォーレ"
と彼の代表作を挙げなければ思い出してもらえないそうである。
墓は、思いのほか質素で、パリ音楽院の楽長まで勤め、
近代フランス音楽を黄金期に導いた作曲家のものとは思えないほどであった。
あまり訪れる人もいないと思われる墓には家族と思われる何人かの名前も記されていた。
1845年生まれのフォーレは幼年時代からその才能を認められ、
9歳から20歳までの間、パリの音楽学校で宗教音楽の教育を受けた。
その後、地方の教会のオルガニストを勤めていたが、
ミサの間に抜け出てはたばこを吸っていたり、
前夜のパーティーの衣装のままミサに出席したり、
およそ地方の信者達の眉をひそめさせるような行動ばかりしていたようだ。
フランスの田舎町は、まだ若かったフォーレにとっては文化的な刺激もなく、
退屈で欲求不満の日々だったのだろうか。
後に彼は職を辞しパリに出ることになる。
その後、師でもある作曲家のサンサーンスの推薦で
パリに小さな教会のオルガニストの職を得、移り住むことになった。
1924年に没するまでこの街に住んだフォーレは、
教会職としてはマドレーヌ寺院の礼拝堂楽長、
後に大オルガニスト奏者と重要なポストを任されていった。
彼の作品は室内楽作品、独奏曲が多く、宗教曲はそれほど多くない。
オルガン曲も自身がオルガニストだったのにもかかわらず、
作品リストには何故か見当たらない。
声楽曲、合唱曲は比較的多く、ミサ曲は2つある。
その一曲が有名な「レクイエム」である。
この曲を書いたとき、フォーレはマドレーヌ寺院の礼拝堂楽長を勤めていた。
礼拝堂楽長の仕事は教会の典礼聖歌の伴奏
(入祭、聖体拝領、閉祭などは聖堂後部の大オルガンを担当するオルガニストが演奏する)、
聖歌隊の指導(当時、女性は聖歌隊に入れなかったので少年たちと男性)などであった。
この教会は国家的な儀式のミサも多く、そのせいか聖職者はきわめて保守的であった。
このフォーレの「レクイエム」も、ミサで初めて演奏されたとき、
司祭は当時まだ無名にだった作曲家を呼んでこう言った。
「フォーレ君、われわれにはあのような新しい曲は必要ないのだよ。
われわれのリストには、十分すぎるほどのレパートリーがあるのだから。わかるだろう?」
後に、この曲が、そのレパートリーの重要なひとつになろうとは、
当時の聖職者には到底考えつかなかったのだろう。
このような保守的な空気の中、彼は自分自身の楽しみのため、
この「レクイエム」を作曲したのだった。
この曲は、それまでのレクイエムが、
死を恐れと共に受け入れなければならないものだったとすると、
彼のレクイエムは、死は何の恐れも抱く必要が無く、
穏やかな平安の気持ちでそれを受け入れることができるものだ、
ということを音楽を通して初めて表現したものだった。
グレゴリオ聖歌風の美しい旋律と、天上的な美しい和音の響き、
天使の羽に包まれて天に上っていくかのような美しい音楽は、
その当時の"死者のためのミサ"には無いものだった。
きっと、かれはこのミサ曲を書くために命を与えられたに違いない。
そう思いたくなるぐらいに、独自で、美しく、感動的な音楽なのである。
フォーレの音楽はカトリック音楽の源流とも言うべき、
グレゴリオ聖歌の重要な伝統も受け継いでいる。
それは表面的な類似ではなく、精神的内容である。
グレゴリオ聖歌は音楽的にはきわめて単純で、
聞き手の耳を楽しませるような気取った作りは何も無い。
いわば余白だらけの音楽で、普通の人が聞いたら、
つまらない音楽に聞こえるかもしれない。
しかし、まさにここに宗教音楽としての重要性が包含されている。
この余白があるおかげで、人は音楽と共に祈ることができる。
音楽を演奏する、或いは聴くという行為のほかに、
音楽と共に祈るという事ができるのである。
いや、もしかしたら逆に、祈りたいという気持ちが、
この余白を祈りで埋めつくすのかもしれない。
そうした気持ちを持つ人にとっては、グレゴリオ聖歌はまさに祈りで満ちた音楽となる。
フォーレの音楽も同様なことがいえるである。
フォーレの「レクイエム」は単純だが、祈りに満ちた音楽となるべき精神を、
この伝統から受け継いでいるのである。
気づくと、私たちの後からこの墓地を訪れた人たちが、なにやら墓を探しているようだ。
しばらくすると、中年のご婦人が疲れて石の上に座っていたご老人に向かって手招きしている。
「ドビュッシー!」。
フォーレの墓の反対側にある同じフランスの作曲家、ドビュッシーの墓を見つけたらしい。
老人はやおら腰を上げゆっくりとそのご夫人のほうに歩いていった。
すれ違うときにふと声をかけたくなった。
「ドビュッシーの反対側にフォーレのお墓があるのですよ。」
「あの有名な「レクイエム」を作曲したガブリエル・フォーレですよ!」
しかし、言葉は音にならず、パリの青い空に高く昇っていった。
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フォーレの「レクイエム」の不滅の名盤として長く愛され続けてきているもの。
私もこのCDがあったら他のものは要らないというくらい気に入っている。
合唱が淡い霞がかかった様な音色で極めて美しい。
オルガンは東京芸大でも教鞭を取っていたピュイグ=ロジェ女史。
東芝EMI (2002/06/19)
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音楽学校の卒業制作としてかかれた「ラシーヌ雅歌」、
キリエ、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュスデイの4曲からなる小ミサが入っている。
両曲ともフォーレの最も美しいページの一つ。
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文芸春秋2005年1月号に、各界58人の方が、サイトhttp://www.bunshun.c...
コメント
フォーレの《レクイエム》も、《ラシーヌの賛歌》も大好きです。
学校でグレゴリオ聖歌を専攻しましたので、その魅力をご存知の方と出会うと、本当にうれしいです。
これからも素敵なお話を聞かせてくださいね♪

